2012/06/24

ねむれない

ねむれない。眠る努力をしていない。眠るために努力はするものなんだろうか。
昨日は体調を崩してしまって、学食で朝昼兼用の食事をとり、薬と食糧を買って帰ってきてから、ほとんど横になっている。近頃の例の如く昼寝をしてしまったので全然ねむれない。今日は久々な友人たちに会える。楽しみ。早く寝なければ。

どうでもいいことだが、女であることが楽でもあり、わずらわしくもある。
クスノキで一晩中そらを見ていたい。バッグパックひとつで旅してみたい。なかなか難しい。 そして私は出会い厨でない。リアルでコミュ賞である。
知らない人についていってはいけない、とは、小さい頃から言われていたはずなのに、何故忘れていたのか。馬鹿である。そして、怖い。

ずっと前に友人から、何かジェンダーについての本を一冊読んでみたらいいと勧められた。気づかないうちに普段どれほど縛られているか気づくことがあるそうだ。私はジェンダー論というのは食わずぎらいだし、せっかくだから、いつか読んでみようと思う。←メモ

確かに高校入ったころ、社会的性を強く感じるようになっていやだった。別に何かから外的圧力があったわけでは全くなく、ひとりで勝手に感じていたけど、いやだった。しばらくして、どうでもよくなった。そんなこと考えても実生活でなんにもならないから。どうでもよくなった一方で、こうやって擦れていくのか、と思った。別に大人になることは擦れていくことには限らないけど、なんか、大人になるにつれ擦れるというのはこんな感じなのかと思ったりしてた。
ジェンダーについて本を読んだら、そのころ放棄して忘れてしまったことを思い出せるのではないかと期待している。

女の子はグループを作るけど、小学校に入った頃にその事実に気づいて、理解できなかった。何故そんなに友達同士の仲間意識が強いのか、意味が分からなかった。自分も女である為、“女の子”社会で生きているうちに自然と身につけてしまったけど、女子のそのような気質というのは生来のものなのか、社会的なものか、人に因るのか、どうなのか。

私は中一ごろまでとても短髪だったため、小四くらいまでたまに男の子と間違えられた。それが楽しかった。中学入った頃、自分が女であることがいやで悩んだことがあった。なぜ男に生まれなかったのかと、割と真剣に悩んでいた。(といっても私は異性愛者である。) しばらくして、まぁ、そんな悩みはなくなったけど、


結局よくわからないや。

ジェンダーフリーということで、将来もし結婚できたらこどもは三人くらいほしいけど、一人は私が生むから、二人は旦那さんに生んでほしい。男女平等である。三人だから平等にはならないけど、力仕事だから旦那さんに頼みたい。

と、馬鹿なことを言ってみる。


今、ベッドに座り壁にもたれ、レースカーテンの向こうに時計台の明かりを見ながら打ってる。空が明るくなってきた。眠れない。