2012/08/26

リンク

先日blog書こうと思ったけど勘違いから書けなくて、Twitterにメモしたやつを
自分のためのメモとしてリンクにしとく。
8月19日のtweets @doublemachen


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2012/11/28

twitterのdoublemachenのアカを完全に消してしまおうと思うのだが、書いたメモを残しておきたいのでアカを一時的に復活させた。あとでまた削除する。


以下そのtweets


何かを学ぶのに四年とは短すぎる気がするけど、逆に言えば、四年あれば大学で身につけるべき知は身につけられるということか。

この国の平均寿命が80年前後で、それなら相対的に(大学生の大半が若者であると想定して)社会に出る前に若者が知を身につける期間としては妥当な長さなのかもしれない。

昨夜、二年前のことを思い出していたら、昨年の記憶よりも活き活きと思い出していた。あのころは学業面ではちゃんと大学生をしていたのだ。

昨年はあの事で現をぬかしていて、この前の前期はその事で現をぬかしていて、あの事とその事は形態は違えど、本質的に同じで、これは私にとって大きな弱点であるようだ。

それから、ちゃんと大学生をしていたころは、Twitterをしていなかった。Twitterのおかげで実世界の辛さから逃れられたけど、それが過ぎ去ったあとも、ネット世界に精神の大部分を住まわせていて、果たすべき義務からも逃れようとするようになった。現実をちゃんとは直にしていなかった。

あのころは現実の世界しかなかったから、其れに常に直面していたし、しなければならなかったから、現実に対し真摯に?直に?生きていたんだ。

(Twitterも現実世界ではあるけれど。)

今まさに人生の岐路に立たされているからか、ぜんぜん知らない方面が魅力的に見える。

法はまさに実学で、eventがあったとき、これはこう当てはめる、これはこう使う、と当てはめていく作業で、それはまさに規定であり、心理の探求などで話さそうだ、と今の私は思っている。

法を作るのはまだ真理の探索かもしれないけど、当てはめるのは機械的作業だ。もちろん人間感情というか道徳倫理は基礎にあるだろう。(感情が法の基礎にあるというのはおかしいと言われそうだ。)

決められた規定を小手先で操り、(といってもそれは生活社会の中で重要なもので身につければきっと自己のためになるものだが)その方法を学ぶというのは私の脳味噌には甘美ではない。法を作るのは楽しいかもしれないけど、法を一生の生業にしていくのか?

それは余りにも淋しくないか?

私が二者択一で決めかねている道はどちらも法を生業とするものだから、もちろんやりがいのある仕事だけど(その仕事に就ける能力があるかは棚上げにして)、だから、別の方面に心惹かれたりしてしまっているんだ。

政治学の入口をききとして学んでいたころは後悔などなかったのに、法学から逃げようとして後悔してしまっている。

文理分けの頃、頭変だった頃、どんな勉強でもやってみて理解できたらおもしろいんだって思ってたけど、もちろんそうだけど、自然と、自分の性質として何を甘美に感じるかって、やっぱりあるんじゃなかろうか。

ここで“甘美”というのは、食べ物の好き嫌いみたいな、大好きなものもあれば、ふつうに好きなものもあるし、食べれるけど好きじゃないものもあるし、そういう、理屈じゃないもの。

私は数学苦手だけど、好きだったし、入試の話で言えば私学は数学で受けたし、京大はいつも数学で落ちてたけど、それでも数学好きだったし、それに、そういえば高校の試験で満点取ったことあるのは数学だけだったし、何回か取れたし、数学が不得手とか、

そこまで気にすることなかったんじゃなかろうか。でも現実として数学で落ちてきたし、よくわからないけど、ひょっとして数学できる人って、何かの線を越えてるんじゃなかろうか?とか勝手に想像してる。実際どうなんかな。数学してる人に聞いてみたい気がしなくもない。

確率の問題やってて、採点してもらう宿題で、ぜんぜん解けなくて、もうあかんわ分からんまま出して解答教えてもらおうと思って、でもまだ時間あったしわずかな?可能性にかけて、頭こねくり回して制限時間超えても一時間くらい(以上だったか忘れた)考えてたら、糸口が見えてきて、

きたない図になってたけど最後まで自分の答えを出せた。提出して返ってきたら正解だった。あれは感動だった。

一郎目に塾の問題解いてた話。

あれ以来確率が好きになった。出来るか出来ないかは別として、ていうかあまり出来なかったけど、好きになった。

ただ、浪人してたとき、看護に進学してた友人と遊びに行って、彼女は、大学で数学ぜんぜんやらなくなったからさみしいって話してた。高校ではいい点とることが総てで、やってきたのに、やらなくなったからさみしいって、引越の整理して数学の教科書とか出てきて寂しくなったって話してた。

理系である看護で数学要らなくなるなら私が目指してる法学部では絶対要らなくなるだろうし、今私がやっている数学は結局やらなくなるのか、と思うと、しばらく数学やる気が消えてしまった。

それからなのか分からないけど、実生活で具体的に“用を為さない”ものへの引力がなくなっていた。

でも、私が今ひかれているのは、そういった分野なのだよ。きっと、逃げているんだ。総てを甘く見ているんだ。

そういや、小学校5、6年の頃に、科学者の夢をやめてしまったのは、科学者とか何か製品を作り出してそれを売ってお金を得ているわけじゃないのに、どこからお金得られるんだって思ったからだ。それはうちが製造業である影響からだけど、あとから考えればそんな職業いっぱいあるのにね。

教師だって公務員だってそうなのに。第三次産業多いのに。

高校時代、三年のときだったか、中学から一緒の理数科の友達と、学校に向かいながら喋ってて、数3かCの話になって、「そっかぁ、おまえ数3Cやってないねんなぁ。なんかおもろいな。」って言われた。あのとき感じたのは軽い屈辱だったのか ?

中学で負けなかったのに><

あの子は高校時代から目指していた、高校のOBで京大の教授の研究室にいる。院にいる。

ほんま、自分の頭訳分からんくて。法と理と医で迷ってて、中学のときから理学療法士になりたいといっていたあの子が急に医学部にいくと言いだし、それなら、医者になるという夢はあの子が叶えてくれるだろうとか思って潔く?諦めた。結局あとになってあの子は「別に臨床したいんじゃないし。血も

こわいしw」といって、工学部へ行ってしまった。そういえば、もうひとり工学部行った友達が言ってたけど、ほんとに逆ハーレムみたいねw

はぁ。

このまま行けば私は国家総合職を目指すことになる。私は人の何倍も時間がかかるし、塾に行かないと無理だろうからと、はやくこの一ヶ月くらいで答え出せって、親に言われてる。塾代出してくれるらしい。ありがたいことに。

これでいいのか分からんけど代替案も見あたらんねん。

公務員は安定してるから、ずっと、公務員がええなって思ってきたけど、私は『幸せになるために生まれてきた』のだから、冒険してみても大丈夫だったんじゃないかな。

これでよかったんかな



以上。


これらは8月19日のtweetsであり必ずしも今も全く同じ考えというわけではない。



さて、もっかいアカ消すか。