2017/06/30

いつの間にか20代も後半30歳に近くなって、高校時代の友達はみな結婚し、もうすぐ子供が生まれる子もいる。昔の友人ももう3人目がいたりする。

焦っても仕方がないことだけど、やっぱり既婚と独身とでは、こちらから見てだけど、心理的な隔てができてしまうんだろうなと感じている。

年齢を重ねるごとに他のみなは人生のステージを進んでいくが、私はとくに変わらず歳だけ取っていっている。でもまあ、去年はいろいろ気づくこともあったし、そのことに関してはこのさき生涯悩むことはないと思うから、いくらかは進歩しているのだろう。

若さは過ぎ去っていくが、私が歳取った分ほかの人も同じように歳を取っていて、まるで自分一人だけ歳とったように感じていたけどそうでもないんだろうなあ。

とりあえず、いい歳になってきたので、今のことがおちついたら出会いでも探しにいこうかと思っている。

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就活中、「何のために働くのか」といった問いがよく現れるが、やりがいとかなんとか、よくある抽象的な理想主義的な答えが様々提示されていて、でも誰もはっきりと自信をもって答えているものじゃないように思えて、就活におけるそういう問いになんだか反吐が出るように感じていたけど、答えは「食べていくため」に他ならないと、自分の中で確立した。
猫らは自分で食糧を狩っていた。人から定期的に餌ももらっていたけど、自分でも狩っていた。一方で、私はいろんなものを消費しているけど、それらは全部自分で生み出したものではなく、すべて誰かがどこかで作ったものだった。
中学か高校のときに、産業は技術が発達するにつれて第一次産業から第二次産業、そして第三次産業へと移っていくと習ったけど、それが何を意味しているのか全く解っていないまま、そういうものとしてそのまま覚えた。でも、その意味はこういうことだったんだろう。すなわち、技術の進歩によって、1人の人間が生産できる食料や、生きるのに絶対必要な物の量が増えたから、それを分けてもらうために自分も人の役に立つことをする。文明の複雑化によって必要なものも多様になるから(娯楽とかも含めて)、いろんな分野の”人の役に立つこと”を選んで行う。技術の進歩が分業を可能にした。そうでなかったら、みな自分の生きる糧を自分で手に入れるために狩りをして、自分の衣服や住居を自分で作ってとしなければならなかったろう。

こういう当たり前のことを、きっとほかの人は当たり前に解っているのだろうけど、私が気づいたのは本当にここ1年くらいのことだった。
「稼ぐ」ということ以外の「働く目的」を就活で求められて、「社会貢献」だと答えるのは、人の役に立つことが仕事なのだからそれは当たり前のことだし、やりがいはあったほうが楽しいに決まっているし、猫たちは自由に暮らしていたし、やりたいことをしたらいいだけのことだった。

だから、たぶんもう、いわゆる”何のために働くのか”みたいなことで悩むことは自分はないし、食べていくために働いて、かつやりたいことをやって楽しむだけだ。

2017/06/07

ほたる

2か月前にほたるが亡くなった。一番仲のよかった野良猫である。

3月くらいから元気がなくなってきて、最後にはほとんど姿を現さなくなっていたが、
亡くなる前日に這い出してきて、世話されているご婦人と一緒に保護した。

きっとご婦人の話している声が聞こえて助けを求めて出てきたのだろう。ふつう猫は死ぬ間際は姿を隠すというけど、あいつは出てきたのだ。

ガリガリに痩せ細っていて、元来の釣り目がさらに釣り目になっていた。チュールをやるとぺろぺろ食べたが、ほかの餌は食べなかった。
そのあとほかの世話されてる方も来られて体を綺麗に拭いてあげていた。私はこれが最後になると思い、撫でて写真を撮った。

それからほたるどうなったかなあと思っていたが、亡くなったと数日後に人から聞いた。あのあとご婦人がご自宅に連れて帰って、翌日亡くなったそうだ。

やつはほんとうに稀有な野良猫だった。とってもいいやつだった。あそこには他にもたくさん猫がいるが、あいつはどこか違っていた。気高く臆せず強いおとこだった。

なんだかあれな言い方になるけど、悩んでいる私に生きるということについて教えてくれたのはフロムとアドラーとほたるさんである。
今度はもっといい生き物に生まれてくるといいね。