2016/07/18

猫のホタル

ボランティアの人たちがそう呼んでた。野良猫に名前を付けるのは人それぞれだから(「俺の名前はいっぱいあってなあ~」)人が付けた名前はなんだかなあとおもったけどホタルとはなかなかよいと思った。 前はよくなついていたのに最近そっけない












2016/03/22

中学の卒業式の日、誰もいない廊下にひとり、鍵のかかった教室の戸の前に行ってさよならとつぶやいて、あの日以降もうあの場所にいることはないけれど、今いる場所もそのうち居ることはなくなるのに、自分はそのことに気づいていなくて、そんなふうにいつか人生ともさよならするんだと思う

2016/02/15

合宿

なかなかに楽しい旅行をした。3か月前に独りで行った場所に今度は大勢で行った。一人で歩いた浜辺を今度は誰かと一緒に歩いた。真っ暗な畏怖的な海はたいへん魅力的だった。
暗闇のしかも風雨の中で小さなライトをいくつか灯し寄り集まって酒を飲んだ。潮騒を聴きながら。一度きりの体験だ。
温泉も最高だったし、予てから行きたかった名所二ヶ所にも行った。
部屋の中でのビーチバレーもババ抜きもたいそう笑った。
幸福な旅だった。

しかし私は恐れの中にいた。自分の気を許せず殻に籠ったまま何も気の利いたことの言えない自分を、自信のない縮こまったものとして感じていた。
大学に帰ってきて旅行もほぼ終わり皆で夕食を食べているときにようやく緊張も解けていたが、それは疲れによって不安な意識を意識しなかったためだった。
気にすることはない。何もかも。





花火

  1. 今までに見た花火で一番印象深いのは9つか10のときに加賀で伯父と一緒に見たもので、先日法事で伯父に会ったときに私との思い出で一番覚えているのはその花火だと言っていた。伯父は今ではもうぼんやりとしか目が見えない。そんなことをさっきシャワりながら考えていて、
  2. もう伯父は花火を見れなくてあの花火は記憶の中のものなのだというのを今頃になって初めて気づいた。

2016/02/05

まだ結果が出たわけじゃないので定かではないけど、大学生活がいざ終わるとなるとそれなりの感慨がある。
来週3カ月ぶりにあの海に行く。楽しみである。

2015/12/06

今までの人生で一番楽しかったのは中学三年、一番しあわせだったのは高校一年の夏だった。
おもえば小学校以来、学校時代は毎日決められたように学校へ行きそこで当たり前に友人たちと顔を合わせて遊び、同じことの繰り返しだったけれど、それこそがしあわせだった。ただ一日を暮らすだけで満ち足りていた。今はどうだろう。誰とも会わない。大学には行くけれど、ゼミ以外では誰とも会わない。偶然によって稀に友人知人と遭遇し立ち話をするようなことが気晴らしというレベルである。ゼミと着付け教室では人と会うけど、自分で壁を作りさほど心を許していないので、好きなように立ち回れていない。根はおしゃべりで下らないことを始終口にする性分なのに気を許せないと声を発することができない。
毎日独りなので何のために頑張ればいいのか、張り合いがない。将来のため、やらなきゃいけないことは大量にあるのに、手を付けられず、アニメ等の虚構の世界に入り浸っている。日々人に認識され存在を認められることがないから気力が出ない。ただの怠け者と言ってしまえばそれまでだし、実際ただの怠け者だとおもう。
3か月前に或ることを始めようと思ったけれど、最初は少し手を付けたけれどどうしたらいいか分からなくて、今は進捗はほぼ無い。3か月後もそうなっているとしか思えなくて、自分のあれさ加減があれ。
この前ドラマドラゴン桜を見ていて、「いつか親が守ってくれなくなるっていう実感」というのが出てきたけど、私もその実感が未だ無いんだとおもう。もう両親とも還暦過ぎなのにね。働かなきゃいけないのに、とにかくどこかに就職するか、1年の猶予で何とかするか、それでだめならとにかくどこかに勤めるしかなくて、将来を考えると真ん中が自分にとって最良であることは分かっているのに、頑張れない。ぼんやりした絶望。自分の意志で無理やり家を出てきて尚且つ脛を齧り続けていて、甘ったれたことを言っていい分ではないのに。
毎日楽しく暮らしたいけど、現在の現実の世界には何もそれらしいことが見当たらないから、虚構の世界で楽しんで時間を捨てて捨ててその慰みから抜けるのが難しい。